皆さんこんばんは。
原田りょうです。
3月11日。
あれから1年が経ちました。
私は3月9日から宮城県気仙沼市大島にいます。
つまり今日3月11日は被災地で過ごしています。
今日という日は、2万人近い方々の命日にあたります。
残された方々にとっては故人を偲び、ゆっくりと涙したい日でもあります。
そんな日に現地に行くのはとても悩みました。
しかし、今まで現地で交流させて頂いた方と寄り添いたい。
現地で鎮魂させていただきたい。
色々な思いが相まって、現地に来ることにしました。
今回は、天人元気届隊さんやNPO法人プレジャーサポートさんのキャンドルで浜に大島の合言葉「心ひとつに」のキャンドル文字を作り、花火の打ちあげのお手伝いなどをさせていただきました。
今までのがれき撤去などの作業と違い、
鎮魂という活動。
そこに至るまでに、自己満足になるのではないかという葛藤もありました。
しかし、実際キャンドルを点火すると、
大島の方々が集まって見て下さって、喜んでもらえました。
花火があがるとともに、海に向かって手を合わせました。
亡くなられた方を思うと、自然と涙がこぼれました。
新しい一歩を踏み出すひとつのきっかけとしていただければと思います。
明日は椿の山で荒れた地域の撤去、清掃などを行います。。
もうすぐ大島内で行われる「椿まつり」の会場となるスペースを作るために山を綺麗にします。
この1年間振り返ると色々ありました。
震災当初はすぐにでも手伝いに行けず、もどかしい思いをし、
募金を集めたり、物資を仕分けたりなど、大阪でできる救援活動をしてきました。
そんなときに知り合いの紹介で、現地に支援に行けることになりました。
現地の状況にただただ圧倒され、
支援物資を届け、避難所と半壊住宅に住む方の物資の格差を目の当たりにしたり、
現地では遺体安置所で一緒にご遺体を探したり、
お寺の清掃活動中にご遺体を見つけたり、
現地でできる活動の微力さを痛感したり、
人の強さを目の当たりにしたり、
命のはかなさを感じたり、
自分のエゴを感じたり、
人に迷惑をかけたり、
人間の冷たさを感じたり、
現地の方に喜んでいただいたり、
たくさんの現地の方の知り合いができたり
・・
様々なことがありました。
宮城県
石巻市
女川町
南三陸町
岩手県
陸前高田市
色々ボランティアに入りました。
台風12号が紀伊半島に甚大な被害を及ぼしてからは、
そちらにもボランティアに入り始めました。
自分一人の活動に限界を感じ、
ACTIONを立ち上げ、代表として、
どうすれば被災地復興することができるか
悩み続けました。
色々ご迷惑をかけ、自分の至らなさを痛感もしました。
現地でたくさんの知り合いもできました。

↑一緒に活動したNPO法人プレジャーサポート協会さんから頂いた感謝状。最初の励みになりました。

↑感謝状を現地の災害対策本部から頂きました。ありがとうございます。
今は後輩がしっかりとACTIONを引き継いでくれています。
たくさんの失敗もしたけれど、
一人でも多くの方を救うことができたなら、
よかったと思っています。
「今後も一生復興に関わっていく。絶対復興させる。」
初めて被災地に行った日に誓ったことは忘れません。
箕面市からできる復興支援を。
私は忘れません。
私はともに歩きます。
同じ日本に住む人間として。
原田りょうです。
3月11日。
あれから1年が経ちました。
私は3月9日から宮城県気仙沼市大島にいます。
つまり今日3月11日は被災地で過ごしています。
今日という日は、2万人近い方々の命日にあたります。
残された方々にとっては故人を偲び、ゆっくりと涙したい日でもあります。
そんな日に現地に行くのはとても悩みました。
しかし、今まで現地で交流させて頂いた方と寄り添いたい。
現地で鎮魂させていただきたい。
色々な思いが相まって、現地に来ることにしました。
今回は、天人元気届隊さんやNPO法人プレジャーサポートさんのキャンドルで浜に大島の合言葉「心ひとつに」のキャンドル文字を作り、花火の打ちあげのお手伝いなどをさせていただきました。
今までのがれき撤去などの作業と違い、
鎮魂という活動。
そこに至るまでに、自己満足になるのではないかという葛藤もありました。
しかし、実際キャンドルを点火すると、
大島の方々が集まって見て下さって、喜んでもらえました。
花火があがるとともに、海に向かって手を合わせました。
亡くなられた方を思うと、自然と涙がこぼれました。
新しい一歩を踏み出すひとつのきっかけとしていただければと思います。
明日は椿の山で荒れた地域の撤去、清掃などを行います。。
もうすぐ大島内で行われる「椿まつり」の会場となるスペースを作るために山を綺麗にします。
この1年間振り返ると色々ありました。
震災当初はすぐにでも手伝いに行けず、もどかしい思いをし、
募金を集めたり、物資を仕分けたりなど、大阪でできる救援活動をしてきました。
そんなときに知り合いの紹介で、現地に支援に行けることになりました。
現地の状況にただただ圧倒され、
支援物資を届け、避難所と半壊住宅に住む方の物資の格差を目の当たりにしたり、
現地では遺体安置所で一緒にご遺体を探したり、
お寺の清掃活動中にご遺体を見つけたり、
現地でできる活動の微力さを痛感したり、
人の強さを目の当たりにしたり、
命のはかなさを感じたり、
自分のエゴを感じたり、
人に迷惑をかけたり、
人間の冷たさを感じたり、
現地の方に喜んでいただいたり、
たくさんの現地の方の知り合いができたり
・・
様々なことがありました。
宮城県
石巻市
女川町
南三陸町
岩手県
陸前高田市
色々ボランティアに入りました。
台風12号が紀伊半島に甚大な被害を及ぼしてからは、
そちらにもボランティアに入り始めました。
自分一人の活動に限界を感じ、
ACTIONを立ち上げ、代表として、
どうすれば被災地復興することができるか
悩み続けました。
色々ご迷惑をかけ、自分の至らなさを痛感もしました。
現地でたくさんの知り合いもできました。

↑一緒に活動したNPO法人プレジャーサポート協会さんから頂いた感謝状。最初の励みになりました。

↑感謝状を現地の災害対策本部から頂きました。ありがとうございます。
今は後輩がしっかりとACTIONを引き継いでくれています。
たくさんの失敗もしたけれど、
一人でも多くの方を救うことができたなら、
よかったと思っています。
「今後も一生復興に関わっていく。絶対復興させる。」
初めて被災地に行った日に誓ったことは忘れません。
箕面市からできる復興支援を。
私は忘れません。
私はともに歩きます。
同じ日本に住む人間として。
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