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北摂へ避難している被災された方々を​支援する大お花見会

皆さんこんばんは!
今朝から箕面観光ホテルで、北摂へ避難している被災された方々を支援する大お花見会に参加させて頂きました。

東日本大震災から1年。
現在東北から大阪府内に避難されて来たご家族は数百世帯。
箕面では50世帯、16名の子供たちが避難してきています。

私は現地にすぐにボランティアに入り、
その後も被災地支援団体ACTIONでずっと現地でボランティアをしてきました。

今までは現地で支援活動するばかりでしたので、
今回東北から避難してきて、こちらに暮らされているご家族や子供たちと
一緒にお話ししたり、一緒に遊んだりするのは初めてで
とても勉強になりました。

こちらに避難されてきている方は
どういう支援を必要とされているのか、故郷への愛着、土地柄の違いなど。
様々なことを聞かせて頂きました。
ただ受け入れるだけじゃダメで、遅れていた授業のフォローやメンタルケアなど、
避難されてきた方々の目線に立った支援が必要です。


それから、ひたすら子供たちと竹とんぼで遊んでいました。(2時間くらいです笑)
私自身楽しくて、社会に子供たちと遊ぶ場がもっとあれば良いな、という課題も見つけました。
子育てを地域で担うのは、地域の人にとって別に負担ではありません。
むしろ癒しであると思います。
(ある地域の市民アンケートでは、今後の子育て支援への参加意向は全体の54.4%に上り、年代・性別にかかわらずほぼ半数の人に参加意向がある。との調査結果もあります。)

特に単身世帯の私のような方にとっては、子供たちと触れ合うことは、
安心感が得られ、自分が必要とされているという充実感を得ることができます。

地域で子育て。これは絶対に必要です。

現在核家族化が進んでおり、地域コミュニティも希薄化する中で、
おじいちゃんおばあちゃんの住む三世代世帯などで子育てのノウハウが継承されることもなく、核家族化が進展して子育てを一人で抱え込んでしまうお母さん方が増えています。
誰にも相談できず、最悪虐待してしまうという事態にまで発展してしまいます。

これを防ぐためにも、地域で子育てをすることは重要です。
身近で色々な世代の人に子育てをサポートしてもらえたり相談に乗ってもらえる安心感が生まれます。
子供たちも色々なことを学べます。
また子は鎹(かすがい)と言うように、
子供を通じて地域のコミュニティが生まれると思います。


私はこれからも、
1.被災されこちらに避難されてきた方々への支援
2.地域の大人や大学生が子供たちと一緒に触れ合う(遊ぶ)機会をもっと提供していく

という2つのことを行なっていきます。
子供たちのため、応援よろしくお願いします!


原田りょう

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東日本大震災から1年にあたって思うこと

皆さんこんばんは。
原田りょうです。

3月11日。
あれから1年が経ちました。

私は3月9日から宮城県気仙沼市大島にいます。
つまり今日3月11日は被災地で過ごしています。

今日という日は、2万人近い方々の命日にあたります。
残された方々にとっては故人を偲び、ゆっくりと涙したい日でもあります。

そんな日に現地に行くのはとても悩みました。
しかし、今まで現地で交流させて頂いた方と寄り添いたい。
現地で鎮魂させていただきたい。
色々な思いが相まって、現地に来ることにしました。

今回は、天人元気届隊さんやNPO法人プレジャーサポートさんのキャンドルで浜に大島の合言葉「心ひとつに」のキャンドル文字を作り、花火の打ちあげのお手伝いなどをさせていただきました。

今までのがれき撤去などの作業と違い、
鎮魂という活動。

そこに至るまでに、自己満足になるのではないかという葛藤もありました。

しかし、実際キャンドルを点火すると、
大島の方々が集まって見て下さって、喜んでもらえました。

花火があがるとともに、海に向かって手を合わせました。
亡くなられた方を思うと、自然と涙がこぼれました。

新しい一歩を踏み出すひとつのきっかけとしていただければと思います。

明日は椿の山で荒れた地域の撤去、清掃などを行います。。
もうすぐ大島内で行われる「椿まつり」の会場となるスペースを作るために山を綺麗にします。


この1年間振り返ると色々ありました。

震災当初はすぐにでも手伝いに行けず、もどかしい思いをし、
募金を集めたり、物資を仕分けたりなど、大阪でできる救援活動をしてきました。

そんなときに知り合いの紹介で、現地に支援に行けることになりました。

現地の状況にただただ圧倒され、
支援物資を届け、避難所と半壊住宅に住む方の物資の格差を目の当たりにしたり、
現地では遺体安置所で一緒にご遺体を探したり、
お寺の清掃活動中にご遺体を見つけたり、
現地でできる活動の微力さを痛感したり、
人の強さを目の当たりにしたり、
命のはかなさを感じたり、
自分のエゴを感じたり、
人に迷惑をかけたり、
人間の冷たさを感じたり、
現地の方に喜んでいただいたり、
たくさんの現地の方の知り合いができたり
・・

様々なことがありました。

宮城県
 石巻市
 女川町
 南三陸町
岩手県
 陸前高田市
色々ボランティアに入りました。
台風12号が紀伊半島に甚大な被害を及ぼしてからは、
そちらにもボランティアに入り始めました。

自分一人の活動に限界を感じ、
ACTIONを立ち上げ、代表として、
どうすれば被災地復興することができるか
悩み続けました。
色々ご迷惑をかけ、自分の至らなさを痛感もしました。
現地でたくさんの知り合いもできました。
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↑一緒に活動したNPO法人プレジャーサポート協会さんから頂いた感謝状。最初の励みになりました。

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↑感謝状を現地の災害対策本部から頂きました。ありがとうございます。

今は後輩がしっかりとACTIONを引き継いでくれています。

たくさんの失敗もしたけれど、
一人でも多くの方を救うことができたなら、
よかったと思っています。

「今後も一生復興に関わっていく。絶対復興させる。」

初めて被災地に行った日に誓ったことは忘れません。

箕面市からできる復興支援を。


私は忘れません。
私はともに歩きます。
同じ日本に住む人間として。

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28

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3.11。被災地への救援活動

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今月頭に被災地に救援活動に向かい、帰ってきてすぐにまた被災地に再び救援へ向かい3日前に帰ってきました。

その報告です。

1、被災地(宮城県石巻市・女川町)での救援活動
2、被災地2回目(宮城県石巻市・女川町)での救援活動


1、被災地に行ってきました。
こちらで義援金募金活動、救援物資の仕分け、大阪・東京でのボランティアミーティングなど行っていましたが、微力なのと実感が湧かず、現地のことを思いながら悶々としていました。

そんなときに今回人間的に尊敬している方のつながりで東京のNPOと一緒に被災地で活動できるようになりました。

作戦名は「被災者支援活動-アクション4」

このNPOは、震災の物資・人員の搬送のために、東京都から 緊急通行車両の許可をとり、必要なもの・人を一ヶ月間輸送(高速料金無料)できるようになっていました。
合計22人、東京を拠点とし、大阪・神戸・熊本の全国からの仲間とともに被災地に入りました。
茶屋町のカフェや劇場の団体やユダヤ人の団体、レイライトジャパン、などほかにもたくさんの団体の協力がありました。

それぞれの方が、30~40代のセラピストやパフォーマー、医師など専門家の集まりで、私は活動記録係(スチール撮影・ビデオ録画)として参加。

最初は写真なんか撮りたくないっていう思いが強かったですが、
支援金を頂いた方・これからの支援金集めのために活動の報告しなければいけないのと
どうしても温度差のある関西に状況を伝えてほしいという現地の方々の思い
があって写真は撮る必要があったのです。

ですが、実際物資届けたり瓦礫撤去などしてて写真は全然撮る暇がありませんでした。

○流れ
大阪でまず事前に集めた物資の仕分け、トラックへ積荷を行い、ミーティング

東京のPSA本部で全員集合しミーティング

宮城のボランティア前線拠点である専修大学に到着。ボランティアが必要とする物資をボランティアのコーディネートする団体に提供
宿泊場所確保・設営
ブリーフィング

石巻市・女川町で
各自別行動をし役割分担した仕事をこなす
避難所・自宅に住む方への物資搬送
瓦礫撤去
セラピスト・整体師・医師による施術

大阪へ帰省

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○感想
・今回一番活動の中で辛かったのが、遺体安置所にて行方不明のお母さんを一緒に探す手伝いをしたことです。
ドライアイスもなくそのまま収容される何百という御遺体。
異様な空気・臭い。死と向き合う。

顔がむちゃくちゃになってて確認が難航。
お母さん「らしき」人を見つける。
かける言葉が見つからない。
言葉なく一緒に涙するしか私にはできませんでした。

・専修大学でボランティアセンターが作られていましたが、
日本中から集まったたくさんの様々な団体が同じ方向を向きともに頑張る。
被災者を助けるため、被災地を元気にするため、日本を復興させるため。
同じ旗印の下、働く。

身震いがしました。私もやってやるって。

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・運転がハード
片道1000キロ(12~15時間)
交代でやってもきつい。
きつい状態から救援活動に取り組む。
きつい。運転者と現地で支援する人は分けるべき だと感じました。


・同じ石巻でも津波の被害があった場所となかった場所の状況の違いに愕然。
津波の被害がなかった場所は瓦が落ちている位で、ガソスタ・コンビニ・焼肉店・・店も通常通り営業しており肩透かしをくらいました。しかし少し海岸に近づくと状況は一変、瓦礫の山。テレビで写される避難所やボランティアセンターは物資や支援がかなり充実、しかし避難所に移らず被災した家に依然として住む方や僻地のボランティアセンターのない場所などは物資が足りていない状況でした。各避難所には、全国各地からの救援物資が届き、炊き出しもされてて充実しつつある反面、避難所には避難せず半壊した家で住む人や、津波で被害にあってない2階で生活されてる方々。そこでは町からの食料配布は1日におにぎりが一個と菓子パンだけという格差。


・そこから次のボランティアの課題が見えました。


つまり避難場所に住まない方や僻地のボランティアに物資を届けることが大事な課題。(大きいボランティアセンターを拠点にしてそこから散り散りにある自宅にお住まいの方に物資を届ける)
救援物資、食料などを避難されず家に残って生活してる方に届ける、トラックいっぱいにボランティアセンターから物資を積み拡声器で呼び掛けながら町中を汲まなく廻り物資を支援していく。次の日からの来る時間を決め、定期便にして行く。

今回現地に直接触れられ、ボランティアの方や被災した方々と話すことができそういう次回に繋げる課題を発見できたのでとても充実しました。


・大阪大学に報告しなければいけなくて報告ついでに提言もした。


>今回参加させていただいた特定非営利法人プレジャーサポート協会(PSA)などのNPO法人と大阪大学の連携ができればと思います。
PSAは現地に何度も行き蓄積した経験ノウハウや資金力があり、写真撮影やビデオ撮影で学生側にモチベーションややりがいを与えることができます。(感謝状くれたりとか)
(but人員不足&信頼不足で活動する資金調達が難航)
大阪大学は学生ボランティアという豊富な人員と大学のネームという信頼を提供することができます。(but学生は資金不足で長期的に被災地に行く・活動する莫大な費用は負担できません。さらに求められるニーズやノウハウ・長期的なボランティア意識もありません)
これらの二つが合わさればwinwinであり、短所を補完しあい息の長い支援が可能になると思います。

しかし阪大からの返事は協力できないとのこと。
阪大の窓口何件かにメールしたが、ダメ駄目だめ・・・
今も阪大のボランティア関係の方とメールでお願いしています。
なんとか阪大とNPOを繋げたい。 春休み中で時間のある、学生を被災地に送り出したい!!

早稲田大学は単位を出して学生を送り出している。スクールバスを出し物資輸送援助をする横浜薬科大学・・etc。

阪大の対応の鈍さ・遅さに少しがっかりで

阪大での救援物資の仕分けに行ったときも、そこで担当者に話を聞くと
「阪大が指示したのではなく9大を管轄するところから言われて物資の仕分けをせなあかんくなったんだよ」と言ってた。
上から命令されたからやる、それだけでした。
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2.こちらに帰宅し、数日後、再び被災地に向かいました。
今回は「本を100冊以上集めてくれ」と2日前に頼まれたので
すぐにmixiで箕面のコミュニティに書き込みをして、たくさんの親切な方々の好意もあって300冊近い本や物資が集められました。団地をまわって一緒に集めてくれた主婦の方に感謝感謝。
箕面の方々の温かさに触れました。

加えてブックオフで100冊本を購入。仕事前やのに協力してくれた友人に本当に感謝。

その他物資を積みこんで中崎町のカフェの方々と被災地へ。
被災地のニーズは状況とともにかわる。ニーズを知っている前回と同じ石巻&女川へ。
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↑今回は前回の課題である、個別の家への物資(専修大学で余っていた生もの、野菜など←私達が届けなくては腐っていた。人手が足りず配れない、また公平性の点から平等に配布するとかいう行政のお役所対応により在庫を抱えていた。食べられていない方々がたくさんいるのに食料を腐らせることだけは避けなくてはいけない!)を届け、
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↑がれき撤去&どろよけ掃除
本を避難所・僻地の家に提供
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↑することがなく退屈していたという避難所の方々や僻地の家の方々に喜んで頂きました。提供して下さった方に感謝です。

今回がれき撤去作業中にご遺体が見つかりました。ここで
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そこは何かすごいにおいがただよっていました。

まだまだたくさんの御遺体ががれきの下に眠っている。それに出くわす可能性もあるということ。

ショックではあった。

しかし現地の方は、「見つかってよかった」
といっていたのと、満開の桜が印象に残っている。

見つかってよかった。
寒かったでしょう。辛かったでしょう。
ゆっくり休んでください。




~~~
○総括 どんどんボランティアに行ってください!!

ボランティアは何か高尚な気がして、近寄りがたい。
奉仕の精神がなくては参加しちゃいかん的な

ただもっと気軽にwinwin(自分も相手も利益を得る)なんだと参加しないと息の長い支援はできないと思う。
例えそれが、自分自身の虚栄心を満たす為の偽善行為でも、ボランティア活動で、被災地の方の利益となるなら、その行為に何ら恥ずべき必要はないと。
また被災地観光であっても、今は交通も整理されて渋滞もないし、とりあえず行ってそこで何かを自分なりに感じればと思う。
しかもあんな大変な長い道のりをわざわざ行く人は熱い人だろうけど。(金も時間も体力もいるから)
(※ただし恩着せがましい行為、被災者を傷つける行為は絶対いけない。)

コンビニも普通にやってるし、ボランティアの受入れも福島以外は整っている。
みんなどんどん偽善や観光で行けばいいんだ。

ただ阪大に言わせてみれば、「それは本来のボランティア活動ではありません」の一言。


私は5月にまた現地に救援に行く。ひとりでも多くの人を笑顔にできれば。


原田りょう

プロフィール

原田 りょう

Author:原田 りょう
はじめまして、大阪府議会議員の原田りょうです!
HP:http://haradaryo.net/

昭和61年8月23日生まれ
私立智辯学園高等学校 卒業
大阪大学法学部(政治専攻)卒業
自民党政治大学なにわ塾 卒業

被災地支援団体ACTION 前代表
衆議院議員事務所勤務
箕面市議会議員(全国最年少25歳で当選)

自民党大阪府連青年局 青年部長
(一社)箕面青年会議所 理事

平成27年、大阪府議会議員に当選。
最年少府議として、現在全力で活動中!

原田りょうTwitter

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